2012年3月から6月までの  裁判の会の活動

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いのちが大事(今なぜ再稼働? ふくいでつながろう)に参加しました

2012年6月3日

 3日に福井中央公園で開かれた。参加者に、裁判の申し込み用紙をくばりました。
集会は、12時から、様々な音楽家の演奏が1時間行われたのち、原子力資料情報室の伴代表や県内外のひとが次々に壇上で思いを語りました。再稼働反対を集会名称から外したせいか、あまり強く再稼働反対をいうのではなく、脱原発への思いだけを述べられるかたもいらしゃいました。「反対というと、市民参加が少ない」ということで、かなりまとまりのない集会になりました。参加団体の旗の自主規制や政治主張も自主規制しよう意見もあったようですが、当日は、規制はなく、ほっとしました。福井原発差止訴訟準備会の世話人も、大反対を声高く上げてきました。
団体によっては再稼働反対で集まろうと呼びかけたため、再稼働反対、阻止の決意で、参加された方も多く、主催者発表で500名ほどの参加者となりました。裁判申し込み用紙を配っていても、既に会員になってますと言われ、失礼しましたと会話になり、本会会員、原告も、様々な個人・団体として多数参加していました。緊急にもかかららず、これだけの人数が福井で集会することは珍しいことです。集会後、参加者は、歌を歌ったり、シュプレヒコールを上げながら、県庁の周りを1周するデモを行いました。17日には、同じ中央公演で、県庁を人間の鎖で取り囲む集会がもたれます。

 

福井原発差止訴訟準備会の集い 福井原発訴訟に向けて を開催しました

 笠原弁護士より、弁護団10名になった。秋には、提訴したいというお話がありました。

左は訴訟の説明をされる笠原弁護士。右は福島でボランティア活動の経験をかたる村上さん。

 

岩淵弁護士の講演会に参加しました 2012年5月19日

 26日。福井の弁護士さん有志によって開かれた岩淵正明弁護士の講演会「福島事故と原発訴訟の課題」に参加しました。
 岩淵弁護士は、志賀原発訴訟弁護団の団長もされています。古くから原発訴訟に関わったこられたとのことです。

 福井原発差止訴訟準備会の会員も、県内外から参加。裁判への思いを発言しました。
 講演後の、弁護士さんによる会議では、会員の発言は参加弁護士さん達にも好意的に受け止められたとのことです。
 岩淵弁護士の講演内容は、かたくり通信で、弁護団の笠原弁護士がまとめて下さってます。
 かたくり通信1号をご覧ください。

 

岩淵弁護士の講演会を聴きに行くため、基礎勉強会を行いました

 19日に開かれる弁護士さん有志が開かれる金沢の岩淵弁護士の講演を危機に行く為、予備の勉強会を開きました。福井原発差止訴訟準備会の世話人は、原発運動も裁判運動も初めての人が多いため、岩淵弁護士の講演をより深く理解するには、予習も必要と行いました。

  岩淵弁護士の論文をみなで読み合わせしながら、不明な言葉や論点を、お互いに教え合ったり、議論しました。
 論文は「法と民主主義」2011年6月号(459号)に掲載された
 岩淵弁護士の「原発をめぐる各地の裁判闘争 志賀原発訴訟」を使いました。
 また、この論文とは別に、同じ号に掲載された2つの論文のコピーも配布されました。
 「原発容認判決を書いた裁判官たちの責任」新道宗幸元千葉大学教授
    「『もんじゅ』訴訟」 佐藤辰弥弁護士

 筆者の感想ですが、判っているつもりですが、改めて議論したり説明したりすると、以下に生半可な知識となっているかと思いました。意義のある勉強会であったですが、今後も、何度もこういった取り組みを根気強くやることは必用だなとおもいました。 また、これも筆者の反省ですが、今後は、世話人以外の原告・会員も参加できるような方法も考えていかねば。せめて、勉強会の通知をメルマガででも周知していかねばと思いました。

 

ふくいに集まろう ―― 大飯原発、今なぜ再稼働? ―― に参加しました

      2012年5月12日

 5月12日、急遽、有志の呼びかけで実行委員会が結成されて開かれた「ふくいに集まろう― 大飯原発、今なぜ再稼働? 」に福井原発差止訴訟準備会は、賛同団体として参加しました。
 集会の詳細は、下記、福石みん氏のレポートなどをご覧ください。
    「ふくいにあつまろう」に地元と関西・東京を合わせて300人、
      市民パレードで原発反対を訴える【現場】【原発反対】



以下は、実行委員として、企画から参加した会員の方の報告です。

  大飯原発、今なぜ再稼動?「ふくいにあつまろう」に参加して
 この集会は、再稼動に危機感を共有する福井の各団体・個人が実行委員会を立ち上げ主催しました。
「福井原発差し止め訴訟準備会」からは私が参加し、実行委員会会議・記者発表・チラシ配布などの準備・当日の運営にと、力及ばずも加わりました。
 当日は風雨が強く、参加者の人数が心配されましたが、午後の開会前には雨もあがり、時折晴れ間ものぞき集会日和になりました。
 陽気に誘われるように、三三五五、人が集まりだし、開会時には250人くらいの人出になっていました。
 今回の特徴は、団体が少なく子供連れの家族や個人の参加が多いように思いました。その分、横断幕や旗はほとんど見かけませんでしたが、再稼動への関心のせいか、活気はすごく感じられました。
内容は、紋切り型の挨拶を極力減らし、福島で被災された人のお話や一分スピーチを中心にした効果か、参加者から盛んな拍手をいただきました。
 最後に、デモに移りだるまや西武前まで行進しましたが、デモを観る人々の視線は決して冷たいものではありませんでした。
私は、前回の反省を活かしリュックにしたおかげで、両手が自由になり、プラカードを持ちながら余裕で歩きました。

敦賀市で開催された原発シンポジウムに参加しました 2012年5月12日

 5月12日、敦賀市民文化センターで開かれた「原発シンポジウム」に参加しました。日本環境法律家連盟(JELF)主催で、福島県楢葉町住民の早川篤雄さん、美浜町の松下照幸さんが現地でのお話をされました。さらに、志賀原発と上関原発訴訟をになっている弁護士さんから裁判の現状の報告がありました。

 以下は参加した会員の報告です。

 昨日は、日本環境法律家連盟(JELF)の総会が敦賀でありそれに合わせて開かれたシンポジウムでした。
 とても、わかりやすく内容のあるお話が多かったのですが、一般の方に広く広報できなかったためか、参加者は30人ぐらいだったのが残念でした。
 会場で、福井原発差止訴訟の原告・会員申込用紙を配りました。
 日本環境法律家連盟(JELF)は日本のほとんどの環境・原発訴訟に関わっておられるそうです。環境団体とのこと。 最後に、福井訴訟の実情を吉川弁護士が話し、その後、福井原発差止訴訟準備会も発言させていただけたので裁判への思いと、集まった皆さんに、福井裁判の支援を訴えました。

 最初に福島県楢葉町の早川さんがお話になられました。
古くから原発反対を立地地域でやってこられたそうです。お寺の住職で、檀家も少ないので、教員をされて、退職後は、農業もやり、障害を持つ方たちの施設を90人のスタッフと運営されていたとのこと。今は、いわき市で、地元にのこった障害者とスタッフとともにグループホームなどをやりながらの避難生活だそうです。

 3.11から一年2カ月後の今でも、どうまとめたらいいのか判らない。話せといわれても、どう思いをのべていいのかわからない。まとまらないが、お話させていただくということから話が始まりました。

 ご自身の311前、311その時、311後の体験などをお話されました。

 昔、全国初の公聴会をひらかせたけれど「やらせ」になった話など原発反対運動についてもいろんなお話が聞けました。ご自身、六畳二間の借り上げ住宅で生活されながら、先の見通しが全く立たないなかで、障害者やスタッフを抱えて、すごい人だなと思いました。 見通しのたたないことが、なんとも言えないような苦しみになってらっしゃるのだろうな。物静かにおちついたご様子ながら、お話の内容からは、その苦しみもにじみでておられました。

 次に美浜の松下照幸さんが、お話をされました。どんぐり倶楽部の話しなどは何度かききましたが、昨日は松下さんが原発に疑問をもったきっかけや、地元美浜での反対運動の妨害などの生のエピソードの話しが多く、興味深いものがありました。また、白血病が福井で多いとおもわれるが、死因の第一因はごまかしがききやすいなど、なるほど、そうやってデータは隠されねつ造されるんだな。ということも理解できました。

 次に来週福井市で講演される岩淵弁護士が、志賀原発裁判(6月提訴予定)のことお話になりました。 とくに311以降判ってきたということで8点を要点にあげておられました。

①311で今まで判決でも論拠の根拠とされた相対的安全性が崩壊した。
 これからは、絶対的安全性が求められる。
②一号機は地震によって壊れた可能性が高い。 まだ、検証中だが、一号機の中をみれないので検証はできていない。
 想定内の揺れでこわれた。
③311前は、M9の地震を想定していなかった。
 地震学者は反省している。 これまでの地震学では不十分。だから今は、地震のことはよくわからない。 では、防災はどうするのか? これまでの地震の最大を考えておく必要がある。 最大はM9.4(チリ地震)。 M9.4だと、ほとんどの原発は、もたない。 既に、柏崎刈羽でその論理が言われている。
④これまで動かないといわれた活断層が動いた。
 保安院は信用できないけれども、その保安院でさえ 連動性や、うごかないといわれた断層を調べろと言いだしている。
⑤使用済み核燃料が危ないということが判った。
 鈴木原子力委員会委員長(前)が170Kmをこえる範囲強制避難 220kmをこえる範囲任意避難を検討していたことが判っている。
⑥被害の大きさが、反対派の自分たちにも予測外だった。
 今回の事故は、誤解をまねくかもしれないが、水素爆発ですんだ。 チェリノブイリでは水蒸気爆発。格納容器が壊れた。 その程度ですんだが、その程度を予測していなかった。 その程度でさえ、50kmぐらいまで避難対象となった。 今までは、大事故を想定して死ぬ死ぬといっていたが、 今回のレベルの事故でも「想定外」に深刻に考えねばならないことが判った。
⑦防災が完全に失敗した。
 EPZ 30Kmを設定したが、それで済むか?
⑧需給論が判ってきた。
 今までは、電力需給の中味が出てこなかったから、電力会社が 1/3は原発供給といったら、そうかというだけだったが
最近、情報が出てきた。

 次に上関原発訴訟の籠橋弁護士が、上関原発の現状をお話されました。
 詳しいことは割愛しますが、 原告にスナメリがなっているというのが面白かったです。カクメイと名の貝も原告で、会の名前もカクメイ。よく、過激派と間違われるとのこと。笑ってらっしゃいました。
 むろん、お笑いだけでなくまじめな上関原発訴訟のお話が中心でしたが、裁判だけにとどまらず、祝島中心に長い長い運動のこともかなり詳しくお話になったのが印象的でした。(まだ終わってませんが)長く戦い抜いた上関訴訟と反対運動の特徴がそんなところにでているんだなと思いました。

 最後に、急きょですが、当福井原発訴訟弁護団の吉川弁護士が当福井裁判の実情を話されました。その後、福井原発差止訴訟準備会として発言させていただけたので、裁判の原告の思いと、会場にこられた方に裁判への支援を訴えました。集まった方々に福井原発差止訴訟の弁護団、原告の存在をアピールできたことは意義があったと思います。

大飯3・4号機地元おおい町で

「再稼働に慎重な判断をしてくださいとの署名集め」に参加しました

 5月1日、原発問題住民運動県連絡会の呼びかけで、大飯町の神崎という16戸件の村にWさんと、再稼働に慎重な判断をしてくださいとの署名集めに行った。
 16戸件中14戸件が誰かが電力会社で働いている村のため、署名はもらえなかった。

以下は村の方の声

(田んぼにいたおばあちゃん)
 本当に心配やけど、(原発)なくなっても困る・・福島みたいになったらどうしようもないけど・・
(延々と今までの苦労話をされるおじいちゃん)
 福井からこられたんか・・私も原電で働いていた・・お金も高かった・・だからこんな家が建った。でも子供らは出ていってしもうた。
(草むしり中のおばあちゃん)
 大飯が立つときは反対した。旗立ててな。民宿の人も魚が食べられんようになるから、原発はあかんと話してた・・でも立ってしもた。署名はできん。息子が関電で働いてるからな。福井から原発反対って思って来られても、ここは何も働く場所もない貧しい村や。そやのに福井は補助金の80パーセント使ってサンドームやら駅やら新幹線やら、おかしいと思う。大飯は滋賀県や京都に合併したいくらいや。
(元校長先生)
 あんたらも、反対するのなら、働き口を持ってくる努力せんと誰も納得しない。反対してくれるのはとても大事やし勇気があると思うけどそれだけではあかん。私は教え子には、原発でなくこれからの仕事をつくりださんとあかんと伝えてる。

「あの・・少し話し聞かせてもらえませんか?」との問いかけに、黙って手を振って避けられる方もいらっしゃった。

 地元の方々は、原発が一旦事故を起こしたら大変なことになることはよくわかっているが、原発は働き口としての唯一の産業に定着している。原発があって当たり前の生活があり、それに変わる何か新たな産業が目に見える形で出てこない限り、原発NOとはいえない事情がある。そんな中でよそ者の私達は何も偉そうなことなど言えない。でも、やはり、この美しい海や町を貴重な宝として、不安の少ない生活を本当は誰もが望んでいると思う。元校長先生も教え子に伝えているように、村の若者が誰か新たな村おこしの声をあげてほしい。原発が再稼働しない決定が出たら、みんなで観光に行きたいものだ。

 

会員の渡利興一郎氏の復興祈念登山に参加しました

当会会員の渡利興一郎氏が、福島への思いを登山という形で呼びかけました。当会会員も呼びかけに応じて、登山を行いました。

登山の呼掛けと決意文はここをクリック

以下は、渡利氏の24時間登山の報告です。

「鬼が嶽」24時間登山総括。


◎ 山に登っていただいた方。(時系列)
   16名18回
◎ 登山口で支えてくれた方。
   10名
◎ 後方支援
   訴訟の会の方々。サヨ原の方々。
◎ 協力
   丹南ケーブルテレビ。福井新聞。朝日新聞。
◎ ドキュメント24時間(抜粋)

 私自身は7回往復しました。山頂では敦賀原発の方向に向かい「脱原発、再稼動阻止!」と叫び、小屋のノートに登頂時間と名前を記帳して戻るルーチンを繰り返しました。急に来られ登山してくれた方もあり、記帳は徹底できませんでしたが、繋ぎ合わせればノートに痕跡が残ると思います。

 福島の時もそうでしたが、ボランティア体験というのは必然が偶然のように装い、そして偶然が必然のように糾える縄の如く重層的に現実化し、私自身が戸惑うほどドラマチックです。私の日記には詳細を書きますが、紙幅とプライバシーの関係で今は省略します。しかし近日中に報告する予定です。
 運動としての側面は、洩れもありましたが私の旗色を地元の方々に鮮明に伝えられたこと。そして、予想された反応が拒否的ではなく、受け入れられたとは言えませんが、脱原発という行動自体は認知されたと思いました。
 しかし今回の企画は、再稼動阻止いう観点から言いますと不徹底なものであり、県民の方々に広く正確に伝達し支持を得るにはどうしたらよいかは積み残されたままになりました。
 最後に、S先生、Oさんご夫妻、Nさんご夫妻、Wさんはじめ会の方々に多くの援助をいただき、漆黒の闇と雨中の胸突き八丁、最後の二往復を無事終える事が出来ました。有難うございました。

 

大飯町で監視テントを1カ月あまり張っていた臼田さんのお話

 

 一人テントを1ヶ月近く大飯で張られていた臼田さんが5月6日日本で全ての原発が停止した日、テントを撤去されました。会員の方が臼田さんのお話を紹介してくれましたので、掲載します。撤去後、福井(原発のある若狭でなく越前)にきていただいてお話を伺い、福井を案内したそうです。以下、会員の方の紹介文。

 彼は野宿者支援と、選挙の供託金含めての違法性の裁判もされてきた方です。
 原発問題は、その中のひとつであり、全てではないこと。つまり原発が止まっても 差別・抑圧の構造が変わらないのなら意味がないと考えるという視点をもっていらっしゃいました。 私は、大変納得し、時間がかかっても、自分はなぜ原発が嫌なのかを考えながら動きたいなあと思いました。
 運動は思想である。どんな世の中を創って行きたいか遠くを見てとらえたい。との言葉も残っています。 すっきり、理想どうり、運動は進まないし、その中でどろどろしながらも悩みながらすすもうとするものだから、 かっこいいもんではない。焦りそうになっても、再稼働しても、ゆっくりじっくり歩もうと反省しました。そうしないと 自分がわからなくなりそうです。失敗の連続ですよとも話されていたので少し安心しました。

 

 

大飯3・4号機再稼働のおおい町での住民説明会行動に参加

        2012年4月26日

 4月26日夜、関西電力大飯原発3、4号機の再稼働をめぐり原発立地地元のおおい町での住民説明会が開催されました。
説明会参加の住民への応援行動に嶺北から参加した会員の報告です。大飯原発前でテントを張って監視されておられる方とも交流してきたそうです。

 大飯原発前でテントを張っていらっしゃるUさんをサポートされていたのは、通産省前テント村のおじさんとプラント技術者をされていて退職した方、知らない出版活動をされていた方でした。まだ数人いらしたかと思います。Uさんが大阪までマイクロバスで大阪の脱原発の市民を迎えに行かれて、大阪からは20人以上がこられました。
 大阪の知り合いの寺の住職も来られました。通産省前テント村の方が「福井の方は私たちの行動を歓迎していないのか?」と言われて「枝野さん県庁入りの時の支援も含め、私は大変ありがたく思っています。福井のみの脱原発市民ではまだまだ小さな動きなので、応援していただいていると力強く感じてますよ。」とお伝えしました。
 京都の若手リーダーのSさんも「とまどいがあったけど、今は大飯と思ってきました。」とのこと。合計私達福井3人以外は関西や東京から50人近くが集まりました。
 枝野さんの時と比べものにならないほどの警備に対してまずびっくり。
 大阪から来られた方がフェンスごしに「どうかみなさん、だまされないで!一旦事故があったら関電も国も誰一人責任をとってくれないのですよ!」と懇願の叫びを続けておられました。彼は「福島に親戚があり本当に悲惨だからじっとしていられない」と話していました。私達市民はカメラで撮影マークされながらの行動です。おおい町民はマイクロバスで、警備の中の説明会へ入りました。これでも法治国家かと思うような雰囲気でした。
 お子さんをなくされたお母さんのアピールも心打たれました。みんなそれぞれの思いをもち、やむにやまれずいらしてました。改めて連帯は外へのアピールになるんだと思いました。

 

「再稼働を許さない緊急集会IN小浜」に参加しました

 4月22日「再稼働を許さない緊急集会IN小浜」に参加しました。
 まず、大飯原発を対岸に望む小浜市泊海岸で集会が始まりました。福井県、近隣府県、全国から集まった300名を前に、地元小浜市、おおい町をはじめ若狭の人々、全国からの代表が次々に発言。集会の呼掛け人である小浜の会の中嶌哲演師も挨拶されました。強風と小雨の中でも、参加者は、熱心に話に聞き入りました。

 その後、小浜市内でのデモ行進のため、参加者は自動車とバスで小浜市内に移動しましたが、移動中、各車両は再稼働反対のステッカーを窓に貼り、車でのデモンストレーションとなりました。通常、原発立地の地元のデモでは、市民が表に出てくることさえ少ないのですが、この日の小浜市内のデモでは、デモを見守る人、中には、何度も何度もお辞儀を繰り返すお年寄りもおられました。原発以外でもデモには何度も参加したという会員も、デモしてお辞儀されたのは初めてと、なんとも複雑な気持ちになりました。強大な権力を背景に、無理やり原発を押しつけられ、札束と権力を背景に心の中まで踏みにじられ反対・賛成に分断された思いが、自分達の反対行動への思いが伝わってくるようで、デモのシュプレヒコールも力強くならざるをえなかった。強権的な原発推進への怒りを新たにするようなデモ行進となりました。

 

柴野徹夫講演会「原発事故は何をもたらしたのか?福井の私たちに何ができるか?」を開きました

 4月21日(土)に、ふくい健康の森「生きがい交流センターふれあい研修室」にて「原発事故は何をもたらしたのか?福井の私たちに何ができるか?」を開催しました。参加26名が、長い年月、反原発と反権力を戦ってこられた柴野氏の話に聞き入りました。

 柴野氏プロフィール
 京都市生まれ。フリーランス。70年代から原発の取材に力を注ぎ、危険な仕事に従事する日雇い労働者の存在、敦賀原発の事故隠し、原発に巣食うヤクザの実態、札束構成に心を交配させる住民の姿などをスクープしました。第24階日本ジャーナリスト会議奨励賞を受賞1995年、進行性胃癌と診断され、全摘手術を受ける。退院後、ジャーナリストの仕事を続けながら、大津市仰木の里の仕事場に[非営利・自力出版支援工房」と名づけた「山猫軒書房」を立ち上げ書物を編集・出版、また隔月の「山猫軒シンポ」を主宰している。2004年9月の「拳法9条・メッセージ・プロジェクト」(代表安斎郁郎)発足にかかわり、編集統括を務める。奥様は看護師、エッセイイストの宮内美紗子。

著作
 『原発のある風景』上・下(未来社)、 菅沼副夫との共著『日本の貧困』(新日本出版社)
 『そこに原発があるけれど』(あけび書房)、柴野徹夫原作『まんが原発列島』(大月書店)
 いずぶちときことの共著『京の花いちもんめ : ルポ・古都つぶしに立ち向かう市民』(機関紙共同出版)
 松浦総三・村山淳彦・内野信幸との共著『ルポルタージュは世界を動かす ジョン・リードから現代へ』(大月書店)
 『僕らが医者をやめない理由 : わが街と生きる』(労働旬報社)
 本島等・森村誠一との共著『私たちは戦争が好きだった : 被爆地・長崎から考える核廃絶への道』(朝日新聞社、朝日文庫)
 柴野徹夫著、安斎育郎協力『明日なき原発―「原発のある風景」』(増補新版)(未来社)

 

枝野経済産業省が福井県庁を訪れ大飯3・4号機再稼働妥当の説明にきました。抗議行動に参加

 4月14日。枝野経済産業大臣が福井県に大飯3・4号機再稼働を妥当と判断した説明にきました。福井県のみならず、周辺府県からも多くの人が集まり、県庁前で抗議行動を展開。抗議の意思表明や、シュプレヒコールなどを繰り返しました。当会会員も参加して、大飯3・4号機再稼働を許さないという県民・国民の声を他の参加者と共に枝野大臣に投げました。また、県に再稼働に同意しないように要望しました。集まった人々の勢いの押され、県は、その場に集まった代表数人に面接、再稼働反対の要望を聞きました。枝野大臣は、県民・国民の勢いに後ろめたさを感じたのか、抗議行動に集まったひとがいる表をさけ、こっそり県庁裏口から入り、帰りは、またこっそり警察車両で県警通用門からでるというとても、公式な説明とはいえないやり方で県に再稼働の意思を伝えました。その後、県民・国民、また世界中の反対の声を受けて、県も再稼働を認めてはいません。

 枝野大臣福井入抗議行動の様子は、当会会員の福石みん氏がレポートしています。

  福石みんの福井市民レポート : 【現場】福井県庁前で原発反対前アクション/枝野経産相の福井県入り    

 

大飯3・4号機再稼働への抗議行動に参加しました。

 4月8日〜10日に県庁前行われた大飯原発3・4号機再稼働の国への抗議行動に参加しました。政府が首相と数人だけで再稼働を認めて、枝野大臣が福井県に説明にきそうな情勢の中、抗議の意思をかけつけた人々が交代で、意思表明し、道行く人々に、再稼働反対を呼びかけました。当会の会員も、空いた時間で現地で反対を表明し、駆けつけた市民と交流しました 。
 駆けつけた人は少なかったですが、勇気をもって呼び掛けを行い、県民の断固とした反対の意思を県庁職員、県庁前を生きゆく人々に伝えました。県内の反原発団体が急な展開の中で対応が遅れる中。再稼働反対行動の口火をきる行動となりました。
 今まで反原発活動をしていた方や政治活動をしていた方はもちろん。ネットをみて駆けつけた音楽が好きというこれまでは、政治的な活動や思想とは全く無縁であった青年も、素直な県民の危惧と不安を発言しました。抗議行動という従来政治的に先進的な人がほとんどの行動に、一般市民が参加してきたことも、大きな意義をもっていました。いかに、一般県民の不安も大きいかを物語っていると同時に、まだ、小さいとはいえ、民主主義的な動きが芽生えているのではと思わせる行動になりました。

 

「原発と人権」全国研究・交流集会IN福島 に参加しました

 4月7日と8日。福島大学で行われた下記の集会に世話人2名が参加しました。
   「原発と人権」全国研究・交流集会~人間・コミュニティの回復と原発のない社会を目指して~
 当会は、裁判は、ほとんど素人の世話人が中心で運営されています。原発裁判の実情や、全国の弁護団の弁護士さん、各地で裁判や反原発を担っておられる方々との交流も兼ねて参加しました。

 

大飯町で開かれた石橋克彦教授の講演会に参加しました

 4月4日大飯町はまかぜ交流センターで開かれた下記講演会に参加しました。
   「大飯原発は地震で大丈夫?」 ――石橋先生、原発震災を語る――

 石橋克彦教授は地震研究の第一人者で、現在神戸大学名誉教授。
 プロフィールは、ウィキペディアなどを参照してください。(ここをクリック)

 その石橋教授が大飯原発のリスクを地震学的な見地かから語られました。
   講演の詳細はURLのビデオでご覧ください。   4月4日石橋克彦教授の大飯町講演

 太平洋岸の東海・東南海などの地震の危険性が言われる今、若狭地方は、大丈夫なのか。いや、今若狭だと石橋先生はおっしゃっていました。福井原発を考えようという方は、是非上記の講演ビデオをみていただきたい。地震学の基礎から、丁寧に説明しています。
 当会は、出席者に裁判の申し込み用紙を配り、裁判参加を呼びかけました。

 

中嶌哲演師の断食の場を訪れて  2012年3月26日

 3月26日より30日まで、長年小浜で、反原発運動をされてきた中嶌哲演師(原子力発電所設置反対小浜市民の会、明通寺住職)が、福井県庁ロビーで断食を行いました。

 中嶌さんは断食にあたって「大飯原発の再稼働を許してしまうと、なし崩し的に他の原発の再稼働に繋がってしまう。第2のフクシマを続発しかねないという大きな危機感を抱いている。私の断食がささやかな触媒となり、『大飯原発を断じて再稼働させたくない』という想いを福井県内や全国の多くの人たちに伝えたい」と趣旨をお話されたそうです。

以下、3月27日に県庁ロビーを訪れて、中嶌氏とともに抗議の時間を過ごした会員Wさんからの報告です。

◎素人おじさんの活動記録

  中島哲演氏激励のため、午後1時半頃中央公園のパーキングに車を止め県警の前を通ると、歩哨の若い警察官が怪訝な顔で私を見るので(私にはそんな雰囲気が在る)、ニコッと会釈すると微笑み返してくれました。 県庁1階ホール、庭に面した簡素な応接セットの椅子に、哲演さんは胡坐を組む姿で静かに淡々と坐っていられました。

 既に訴訟準備会のメンバーの方はじめ5名の人が、哲演さんを見守る形で坐っていらっしゃいました(後で紹介されたが、大阪や滋賀から来られていた)。

 訴訟準備会の会員に紹介され哲演さんの前に坐り、「お身体大丈夫ですか」とお聞きすると、瞑っていた眼を開け「大丈夫です」と言われ、「お名前は、どちらから来られましたか」と嬉しそうに質問なさった。 しばらく様々なお話をしましたが、一人でも多くの市民が活動に参加するにはどうしたら良いかという話題に及ぶと、「会の正当な理論付けは当然大切ですが、人々の魂に訴求する事がポイントです。

 今まで様々なイベントに参加しましたが、音楽や詩が人々に及ぼす影響が大きい。他の話は忘れても、音楽や詩は今でも覚えている」と話され、私として特に印象深かったので敢えて記します。 26日にも、訴訟準備会のメンバーが何人か来られていた由。自然に誰かが一緒に坐るようなので、最後まで居るといわれる5名の人と哲演さんに挨拶し、少し安心して4時頃帰途に着きました。

 一つ思い出したことを書きます。途中哲演さんが、「水ばかり飲んでいますから」と微笑みながらら言われトイレに行かれた帰り、「そこに知事宛の投書があります」と指差されたので、私はその気になり20分くらい掛けて書きました。書いて準備会のメンバーの方にお見せすると、他の人にも見せられ、私に向かって会報にも載せてくださいといわれましたので、一字一句は思い出せませんが要点を書きます。

 私は二ヶ月間くらい福島県でボランティア活動をしていましたが、福島第一原発の20キロ圏の町を他のボランティアと見た時、期せずして同時に「ゴーストタウンだ」と叫んでいました。家は普通どおりに在るのに人が居ない異様な光景を目にしたからです。傍観者だった私がこの日を期して、原発反対の活動をしようと魂に誓いました。その時頭に閃いたのは、無条件に(絶対に)原発を稼動させてはならないということです。ひとたび事故があれば人間の最も本来的な人格権・生存権が奪われたしまうからです。何人にも、企業にも、国家にもそんな権利はありません。今この県庁で命を懸けて再稼動阻止を願っている人が断食をしています。彼の魂の叫びをお汲み取りいただき、再稼動反対の決断をなされますようお願いいたします。

このように書きました。

※当日、断食の場にいた他の会員が、Wさんと中嶌さんのエピソードを伝えてくれました。

Wさんが哲演さんに「僕は運動を始めたばかりの素人でみなさんより1周以上も遅れて走ってます・・」に対して、哲演さんが「1周遅れといわれる人が、いつの間にか先を走っていることがよくあります。私はそれが嬉しいのです。後ろから後ろから、始めたばかりの人たちが、どんどん私を追い越していく、それが嬉しいのです。少しも遅くありません。どうか目覚めた時心から動いて下さい。」

 

勉強会「こんな教科書は子供たちに渡せない」に参加

 

 3月25日に 「こんな教科書は子供たちに渡せない」教科書ネット 北陸ブロック学習交流会が福井県教育センターで開かれました。以下の4団体主催の勉強会でした。
    こどもと教科書全国ネット21/こどもと教科書ネット21富山/こどもと教科書ネット21石川/
    こどもと教科書ネット2福井
 会場で福井原発差止訴訟の裁判参加のリーフレットを配布しました。

 教科書問題では、歴史問題のみならず、原発や放射線の記述でも、一部の教科書で政治的に歪曲された非科学的記述があり、脱原発の立場からも、見過ごせない問題となっています。

以下、この勉強会に参加された当会会員でもあるSさんの報告文です。

教科書ネット 北陸ブロック集会報告

 教科書ネット21は子ども達が学ぶ教科書が、憲法に基づいた理念でつくられる事を目標に活動しているネットワークです。その北陸ブロック集会が325日福井市教育センターで開かれました。あいにく当日は反原発の集会がすぐそばの公園で開かれ、また同じ建物でもう一つの会合があり、参加者が分散してしまい、各県の代表者の集まりの形になりました。

  「つくる会」という教科書をつくる運動をやっている団体があります。教科書の「従軍慰安婦」の記述を削除せよ。朝鮮を植民地支配下と考える「自虐史観」に基づく教科書を排除せよといっているグループです。
 彼らの歴史教科書は、一言で言えば、「歴史改ざん史観」、公民の教科書は「現憲法否定」教科書となります。2011年は4年ごとの中学校の教科書を決める年でした。

事務局長の俵さんから2011年の中学校教科書採択の状況をききました。

「つくる会」は分裂し、その系統である「教科書改善の会」の教科書は育鵬社と自由社です。この社の採択率は歴史48.642冊で3.8% 公民48.223冊で4.1%となります。この数字は多くないように思えるでしょうが、2001年 0.039%、05年0.4%、09年1.7%と増加しているのです。

1)採択数を増やす作戦は、教育委員会の委員の過半数を(作る会が)獲得する。
2)民主党に政権を奪われた自民党はより右への路線をとり、地方議会では採択推進の動きをする
3)「つくる会」系人士の議会や教育委員会への働きかけ

などがあげられ、総元締めとして「日本会議」の存在があります。

 運動する側としては、「育鵬社版も自由社版もこどもに渡せない」ときちんと取り組みをする必要がある。2015年の採択を目指して是非がんばっていこう。

続いて各地の取り組みでは

福井からは、原発副読本についての問題提起をしました。なお福井県教育委員に、県内有力神社の宮司がいつの間にかなっているということでした。県内は稲田、山谷えり子という大変な人物がおります。

石川県では、育鵬社教科書が採択されそうになった地域があったそうで、石川県は最も日本会議の会員がおおいのです。

富山県では教科書通信を発行し、講演会も独自に開いて活動は活発です。

改めて、育鵬社や自由社の教科書記述の内容に驚愕し、参加者全員次の採択へ向けて決意を新たにしました。

※編集者 追加 (2012/04/04)
  つくる会系教科書の原発関連記述については、下の記事などを参考
    教科書の中の原発/安全神話を「布教」/吉田典裕(しんぶん赤旗)

 

大飯原発3・4号機の再稼働に反対する緊急集会(福井集会) に参加しました。

 3月25日に、原子力発電に反対する福井県民会議主催の集会「大飯原発3・4号機の「再稼働」に慎重な判断を求める市民集会―福井から未来をひらこう」に参加しました。
 県内外から700名の参加があり、滋賀、京都、大阪、神戸、岐阜、愛知をはじめ、関東からも多数の参加者のもと、あいにくの悪天候にもかかららず、大飯3・4号機再稼働の不当性を訴える発言が相次ぎました。県民会議代表の中嶌哲演氏、原子力資料情報室の山口幸夫共同代表らが拙速な再稼働への懸念、抗議を表明した。集会後、参加者は、降り出した雪と強風の中、福井市内をJR福井駅までデモ行進しました。
 準備会は、会場となった福井市中央公園で、参加申込パンフのパンフレットを配って、集会参加者に裁判への参加を呼びかけました。集会・デモにも参加、再稼働への反対をアピールしました。

<以下は参加した会員Wさんレポート>◎素人おじさんの活動記録

 3月25日(雨・曇り・晴れ・風)これに雪が加わり、冬の北陸は天候が目まぐるしく変わる。私は傘とサングラスを用意したが、これがズバリ当たった(カッパが有ればもっと良かった)。
 当日、福井駅にて待ち合わせしたメンバー5人と新幹線経由で東京から来られた「たんぽぽ舎」のメンバー14名と共に、12時半ごろ会場の中央公園に入る。このためにのみ遠方より来られたたんぽぽ舎の意識の高さに、私は密かに感心しきりだった。
 早速、福井原発訴訟のリーフレットをメンバーと手分けして配る。多く の都府県から、政治団体はじめ多くの団体が原発再稼動阻止を掲げ集結した。色とりどりの旗、プラカードが会場を盛り上げたが、原発再稼動阻止の生命線であ る「草の根市民」が少なく、寂しい思いをしたのは私だけだろうか。
 開会後主催者をはじめ、様々な団体の人が阻止を訴え盛んな拍手を浴び ていたが、私は断食を実行すると訴えた中島哲演氏の発言にひときは魂を揺さぶられた。最後に参加した準備会のメンバーでパレードに参加し幕を閉じたが、 準備会のメガホンでのシュプレヒコールと会メンバーの大声の合の手は圧巻でした。そのお陰か岩上安身氏主宰のネットジャーナルから取材を受け、居合わせたメンバー が力強く会の意義をアピールできたのは予期せぬ余得だった。

「3.11さよなら原発福井県集会in つるが」に参加しました

3月11日敦賀市のプラザ萬象にて開催された「3.11さよなら原発福井県集会 in つるが」に 参加しました。集会は1200人(県内約1000人、京都・滋賀など県外から役200人)の 参加者が、熱心にリレートークに耳を傾ける活気と熱のこもった集会となりました。

  当日のビデオなどを紹介したブログ ここをクリックして下さい

県内から1000名の参加で、断固脱原発の県民の意思表示がなされました。 原発再稼働に抵抗するための、福井県と周辺住民の基礎となりうるでしょう。 この集会の成功をどう次に繋げるかが問われていると思います。 裁判の会は、原発を止め廃炉にする次の道への一助となれるでしょう。訴訟準備会は、当日集会に参加した人々と連帯して、脱原発への道を進める運動を広げていきたいと思います。

準備会は、会場ロビーで原告、会員を受付ました。会場入り口で、裁判参加を呼び掛けるチラシを 配りました。用意した1000枚のチラシはすべて配りきりました。集会がデモに出発する直前まで、受付、下のような方々が、裁判への参加と支援を表明して下さいました。

当日申し込み
  原告 7名
  会員 5名
  準会員 13名
  資料請求 2名

  カンパ金 14.034円
  会員会費など  105,000円